小さな花

 姿形とも揃った花を咲かせるのはなかなか難しい。花好きの仲間たちは「クンシランは葉つばが七枚になったら、子株を親から切り離すのよ」「スパシフイラムの子株は寂しがるから、あまり小さいうちは細か分けないでネ」などと注文をつけながら、増やした株を自分の子供のようにせっせと里子に出している。
 先日、大輪アスクーの花の種をまき、やっと出た芽を大きなプランターに慌てて植えかえ、肥料もしっかり入れてやった。色とりどりの花が咲くはずだったが、ほどなく成長が止まり、咲くには咲いたが、わずか一にも満たない小さな花でがっかりした。本葉が出て根がしっかりしてから、段々に大きな鉢へ移植しなければいけなかった。肥料をやり過ぎて大事な花を枯らしたり、葉ばかり茂って全然花が咲かなかったりする失敗は多い。「植物は素直だからちゃんと手入れをしてやれば、人間と違って期待にこたえてくれる」と言われたことがあるが、実際に毎日の手入れかまい過ぎとの加減は難しい。
 最近の子育てはお金をかけ過ぎたり、かまい過ぎる傾向がある。アパートから庭付き一戸建てに移る理由の一つは、独立した子供部屋が欲しいということである。完全装備の独立した子供部屋と、居間や食堂といった共通部分とのバランスが悪い住宅が出来てしまうことがある。
 欧米で屋根裏を利用した子供部屋をよくみかける。頭がつかえたり暑かったり、条件はあまり良くないが、広く変化のあるスペースを自分で工夫して伸び伸びと使って子供に人気がある。小さいころは兄弟一緒の部屋のほうが寂しくないし、性格や趣味の違いに気遣いながら成長する。個室は中学生になってからで良いのではないか。
 大きな花を咲かせようとして使った大きな鉢は失敗で、根っこがはみ出して窮屈になってから独立させた方が良かった。植物の観察と水やりは欠かせないように、子供の生活ぶりを気遣うことも大切だが、部屋の与え方も子供の発達に大きな影響力があることに十分配慮したい。
1994年(平成6年)7月6日(水曜日)中日新聞夕刊

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めすの生活力

 わが家は子供三人すべて男という色気のない家族である。その反動で、ペットはおすめす取り混ぜていつもにぎやかであった。犬・チャボ・インコ・兎・リスなどが、仕事に出掛けている主婦に代わって留守番をしてくれていた。中でも血統書付きのめすの柴犬は家族全員のカウンセラー役で、わが家のボスを自認してプライドが高く、おすのように義務感で吠えたりしない、近所でも評判のおとなしそうに見える人気者だった。
 朝六時に寝ている私の頭を引っかいて台所に入るように指示し、朝の散歩は主人、夜は子供と無言で全員に圧力をかけてまわる。予防注射など自分のイヤなことをされるのは頑固に拒否した。どんなに機嫌をとってもイヤはイヤなのだ。
 設計の話し合いで、予算が合わなくてお気に入りのシステムキチンを変更されそうになると、やさしそうな奥さんはどんなに説得されても納得しない。イヤはイヤという女性の頑固さなのだろうか。
 ある日、リスの夫婦が籠から逃げた。おすは餌を与えるとすぐ捕まったが、めすは捕まらず、おすのキッキッという帰れコールに時々のぞきに来ていたが、庭がら塀、外へと少しずつ離れて、とうとう戻らなくなってしまった。しばらくは近所の人から、見かけたという情報をいただいたが。
 カブトムシをたくさん幼虫からかえした時、どんなにしっかり蓋を閉めても朝見るとケースから出て飛び歩いているのは皆めすだった。「カブトムシのお母さんは力持ちなんだネエー」と言って、朝になると子供たちはめすを探していた。
 夫婦で出掛ける時、子供が「パパは必ず帰ってくると思うけど、ママは帰ってくるかな?」と言って不安げに私を見た記憶がある。めすは、逃げたら振り返らない思い切りの良さと、どんなにしっかり囲っても自由に飛び出していく力強さ、理屈では説得できない頑固さなどを男の子たちの心にしっかりと刻み込んでくれたらしい。
1994年7月13日(水曜日)中日新聞夕刊

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トイレのいろいろ

 トイレの設計に注文が多い。「年寄りが慌てて駆け込むのでドアはいりません。来客時はびょうぶでも立てかけておけば良いことだから」と同居の六十三歳の娘さん、「夜はポータブルトイレ、昼もそそうが多く臭いが残って大変、シャワー付きの洗い場をつけてください」と足に障害が出てきた老人を抱える家族、「外国のホテルで慣れました。バス・洗面一緒のワンルームの床暖房付きのほうが広々として快適ですよ」と年配の男性。老人保健施設でも「広い車いす用トイレより、手すりに連続性があるコンパクトなほうが使いやすく、人気があります」と介護士さん。
 多くは高齢化へ向けての注文である。掃除のしやすい滑らない床、尿の色や臭いを識別できる器、洗い場などのゆとりあるスペース、使いやすい連続性のある手すりなど、安全で健康を考えたトイレの設計は重要課題である。
 欧米のホテルでトイレを尋ねるとレストルームを指さす。行ってみると、ソファと電話のある前室があり、その奥にトイレがある。
 トイレは休憩室になっているのである。サンフランシスコのデザインセンターにあるトイレやバスルームのコーナーでは、複数のメーカーが多種類の機器や金具、アクセサリーなどを見やすく並べているのが印象的だった。
 日本では昔はくみ取り式のために母屋から切り離され、家相で位置が決められることが多く、はばかり、ご不浄などと呼ばれてきた。「トイレを見ればその家が分かる」と言われ、最近はうそみたいな見直され方でカラフルで美しくなった。
 しかし、みかけの快適さだけではすまい。老人や子供、病人にとって、生理現象は待ったなしで、事故や怪我が多くなる。高齢化社会に向けて、良いトイレは生活デザインのポイントなのである。
1994年7月20日(水曜日)中日新聞夕刊

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感性をはぐくむ

愛知県の保育園で四歳の男の子に何色が好き?と聞いたとき「青組になりたいから青」と答えた。年長の五歳児が青組なのである。どんな形が好き?「ボールが好きだから丸」。どんな動物が好き?「うさぎの耳が可愛いよ。シッポにさわると気持ちがいいよ」。いずれもごく身近な生活の場からの発想で反応が返ってくる。
 保育室の壁には、着替え入れのスーパーのビニール袋や子どもたちの作品が、床には積み重ねられたいす、机、作業箱、遊具などが置かれている。三歳の年少組は、これらの家具を廊下に移動させてゴザを敷いて昼寝をしている。狭い部屋を有効に使うために、積み重ねが可能で作業と食事に共用できるいすや机が選ばれている。子どもたちの感性を豊かに育てる環境としては、いささか気になる。
 パリ南西のル・マン市にあるパブロ・ピカソ幼稚園では、広いスペースに二十人一クラス、社会的環境に馴染むように、建物自体の中に街や道を見立てた環境が用意され、食事専用の場もある。入り口のホールには、子どもがいすに乗って着替えする木製の長いすがあり、送り迎えの親との目線を揃えてコミュニケーションがとりやすいように工夫されている。
 トイレは手洗い台を挟んで、両側に白い小さなスツールと便器がオープンに並び、こびとの国のように魅力的である。この街の住宅はコンクリートのアパートが多く、温かみが不足しているので、幼稚園は低層で温かみのある木質材を使い、豊かな環境を用意して創造性を伸ばしたいという説明であった。「子供と親とのコミュニケーション家真の発案は私なのよ」と生活環境の大切さを語ったのは案内役の女性の副市長であった。日仏の幼児施設には大きな格差がある。日本の子どもたちはウサギの温かさや肌触りなど、本物の良さを感じる素直な感性を持っている。身近にもっと豊かな環境を工夫して、子どもたちを侵しく包み込み、さらに感性をはぐくんであげたい。
1994年7月27日(水曜日)中日新聞夕刊

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明るすぎる

 電気店には照明器具がずらりとぶら下がっている。どの器具の光がまわりを明るくしているのか見分けがつかない。「子どもの目が悪くならないように出来るだけ明るい蛍光灯をつけてください」「シャンデリアをつけて豪華で明るい部屋に見せたいのですけれど」などなど、日本人の照明に対する希望は明るさである。
 欧米の住宅にはほとんど天井照明はなく、間接照明など直接光源をみせないで柔らかい光で部屋の雰囲気を出している。食堂ではコード付きの照明でテーブルの料理に光を近づけ、食卓に集う人々の気持ちを集中させる。居間ではフロアスタンドなどを使いわけて明るさを多様に変化させ、ソファー・テーブル・季節の花などともコーディネイトして楽しい空間を演出している。日本でもホテルではそれに似た工夫がされているが、一般に住宅の照明は均一で明るすぎる。
 パチンコ店の照明は世界に例を見ない。まったく常識を越えた照度、色とりどりの蛍光灯、あたりを旋回しているサーチライト光線。これは欧米の人々には説明しようがない。これは何故なのだろうか? 日本では新しい建物が完成すると、竣工式では「明るく近代的な」と祝辞が述べられる。明るいは良い、暗いは悪いというイメージにつながっている。暗い貧困のイメージから抜け出して、より豊かにという願望が、明るすぎる照明へとつながっているのか。勿論、工場やオフィス、学校などでは均一な明るさが必要だが、住宅や病院のような生活の場では落ち着きのあるやわらかい照明が好ましい。
 ほのかにゆれるローソクのあかりを和紙で和らげた行灯は、日本の産んだ素晴らしい照明である。もっと生活空間に明るさと暗さの微妙な抑揚や変化を持ち込み、明るさは量より質を大切にして生活に潤いをもたせたい。
1994年8月3日(水曜日)中日新聞夕刊

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共有地

 小学校一年で引き上げてくるまで4年足らず、北京の四合院で十二家族が一緒に暮らしていた。四合院とは4つの棟が院子という共有の中庭を囲む中国建築の配置形式で、都市住宅やお寺などに今でも多く用いられている。立派な門を入ると三つの四合院がつながり、前庭は広い石畳で縄跳びやかんけりをして遊ぶのにちょうど良い広さであった。次の中庭にはナツメの木、奥庭には大きなカイドウの木があり、子供たちは実が赤くなると競ってのぼった。木のぼり上手な私は美味しい実を探すのが得意で、苦手な子を無理に登らせたりして泣かせていた。奥に野菜畑があり、遊び疲れると青いトマトなどを取って食べてた。気難しい学者、いつも一緒に遊んでくれた画家、職業も家族構成も違った人達が集まって住んでいた。だれもが遊んでいる子供たちを気にかけ、庭を共有しているという意識で連帯感が強かった。
 愛知県の桃花台ニュータウンで、数軒で共有地を囲む住宅の配置を提案した。共有地はニ台目の駐車場で、日中、車がいないときは子どもの遊び場にもなり、四季の花が咲く小さな広場でもある。ここが四合院のような連帯感を生み出すことを期待した。1年後住民にアンケートをしたが、キャッチボールなどをして共有地を活用していると評価する人もいれば、子どもの遊び場ではないと厳しい人もいる。共有地に咲いたアベリアの花は蜂が来て危ないと反対する人、自分の庭から共有地へ連続して花を咲かせて、周りの人を楽しませる工夫をしている人など緑に対する価値観も多様である。
 道路と違って、自分で購入した共有財産であるから関心は強い。家の周りに空間のゆとりが出来る良さがある一方で、車の出入りの安全や緑の手入れの煩わしさなどの課題も多い。とかく、個人本意や家族本意の考え方が強まっている中で、四合院にヒントを得た環境がコミュニティ意識を育てているとすればうれしい。
1994年8月10日(水曜日)中日新聞夕刊

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母鳥

 わが家の小さな庭の銀杏にキジバトが、青桐にヒヨドリが巣を作った。キジバトは朝早く子どものギィーギィーという鳴き声を聞いて母親が餌を運び、食べ終わっても親子は羽をひろげ身体全体で抱き合っていたが、まもなく巣立っていった。ヒヨドリの方は二階の居間の窓からわずか1。の枝に巣を作り、我々が見てくれるから安心だとでも思っているのか、猛暑の中で卵を暖めてやっと3羽の雛がかえった。キィーという母親の鳴き声と羽音がする度に、体中が口みたいな雛が長い首を伸ばして、我先に餌にありつく。日ごとに成長して母親の餌運びが忙しくなる。父親はどこで何をしているのかしら。
 人間の社会でも子育てしながら働く母親が増えているが、家庭と仕事をサーカスの綱渡りのように必死でバランスをとっている。女は家庭、男は仕事という役割分担に対する意識は変ってきているのだろうか。妻の家事時間は平日で四時間五分、これに対して夫のそれはわずか十一分、という共働き家庭の調査結果がある。家事を夫婦で分担するにしても、やはり子どもを置いて安心して働ける環境が欲しい。仕事帰りに立ち寄って必要な物が買えるお店、安心して留守に出来るセキュリティシステム、回覧板の代わりに地域情報が留守でも届いている通信システム、書留や小包を後で取りに行かなくても安全に保管されている大型ポストなどがあるとありがたい。しかし、まだ日本の社会は主婦が日中家にいることを前提に動いている。
 3人の息子をやっとの思いで育てた私には、三つ子を育てている母鳥の苦労が身にしみる。「何かあればスーと飛んで帰れる羽があってうらやましい」などと考えながら、仕事の都合で子どもたちの食事時間に帰れることができず悩んだ日々を思い出している。
1994年8月17日(水曜日)中日新聞夕刊

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太太

 今年4月に訪れた台北市では、どこの交差点でも、最前列にずらりと並んだスクーターがごう音とともに一斉に走り出す。その中には、前に子供ニ人、後ろに夫を載せた4人乗りのスクーターが、風を切って通り過ぎていく。真ん中で運転しているのは堂々とした一家の主婦である。台湾では結婚している女性を太太「タイタイ」と呼ぶ。
 台北の朝市をのぞくと、麺類を作っている家族、肉や海鮮類、野菜や果物などを売る人々などで活気があふれている。新鮮なものばかりで安い。日中暑いので夜八時ころから街に出かけると、衣類や雑貨の路上マーケット・屋台がまた迫力がある。生きた鶏、蛙など、その場で太太が調理し生き生きと働いている。甘いお菓子でもとのぞいて歩いたが、ゴマやピーナッを飴で固めたものか干した果物くらい。少々衛生上不安はあるが、新鮮で健康に良さそうな手作りのものが多い。満腹の身体を一服させようとお茶屋に入ると、大きな坐卓を囲んで太太が、おちょこのような湯呑みに幾度もウーロン茶を注ぎ、香りを楽しみながら味わせてくれる。日本のレトルトやインスタント料理を反省しつつ、気楽に安く食べられる屋台は、働く女性にとっては便利な存在だとうらやましくなる。
 中国・南京の女性大学教授に伺うと、本土では太太というのは余り使わず、商売に励む女性を意味し、普通は夫人とか女士と呼ぶそうである。いかにも太太とは華僑の逞しさを示しているようだ。日本と外貨保有高世界一を争う発展目ざましい台湾。太太をみるかぎり服装は質素だがタフで良く働く。健康を考えた食生活からあのバイタリタィが生まれてくるようだ。家内とか奥さんと呼ばれて、家の中を守る日本の主婦とは迫力が違う。見かけは私も太太、しかし、あの逞しさにはかなわない。
1994年8月24日(水曜日)中日新聞夕刊 

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花は汚い

 都市景観の整備地区に向けて、名古屋の山手通、四谷通を魅力ある街にするにはどうしたら良いかを話し合っている時、「花は汚い」と若い建築家が発言した。一同はとっさに理解出来なかったが「花は手入れをしないと枯れて汚くなる。通りには見苦しいプランターや植木鉢などが多い。そんなことなら最初から花はないほうがすっきりしている」という説明であった。
 実は私が花の色や香りから通りのイメージカラーを提案し、地区の植栽計画を担当していた。早春はジンチョウゲの甘い香りとともに、ボケ・ウメ・サクラなどの淡いピンク色の花が咲くさわやかな街、秋はキンモクセイがどこからともなく匂ってくる紅葉の美しいしっとりした街などと、頭の中ではキレイな花がいっぱいの街の絵を描いていたので、この発言には大きなショックを受けた。維持管理まで提案せずに、美しく花が咲き乱れる絵を描いただけの提案は無責任だと、この若い建築家は‘警告’してくれたようだ。
 考えて見れば、自分の庭でも年中手入れをして花を咲かすのは大変なことだ。街路樹などの手入れは、年一回の剪定と十日の水やりという規定があるが、落ち葉に対しても苦情が多く、一回の実施という関係から、葉が落ちないうちに丸坊主に剪定してしまうことになる。維持管理は大切だが、やはり落ち葉と一般ゴミとを同じ目でみる傾向があるのは困ったことだ。
 公共の緑の維持管理を住民の善意に期待するのは難しいが、道路や広場に植える植栽の種類は周辺住民の合意を求め、共有の領域として楽しみながら育ててもらう気風を育てたい。最近は電線の地中化で街路樹も大きくなり、桜通りのイチョウ並木は半世紀以上かかって立派に育ち、周辺のビルにも緑陰をもたらすほどになった。若い建築家の‘警告’はあるが、名古屋を「落ち葉のない街」「花のない街」にしてはいけないと思う。
1994年8月31日(水曜日)中日新聞夕刊

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カーテン の洗濯

 数年前、息子が6人部屋で3ケ月の病院生活を送り、私もしばらく付き添った。そんなある日、突然ベッド周りのカーテンが一斉に外された。何事かと思ったが、洗濯に出すので一週間カーテン無しで我慢してくださいということだった。
 大部屋では病状も年齢も違う人と生活を共にするのでお互いに気を使うことが多い。ベッド周りのカーテンはブライバシーを保つ必需品である。朝の回診、患者や付き添いの着替え、体の清拭、安静安眠を保つひとときなど、カーテンは一日でもないと苦痛である。まして1週間もカーテンがないのは大事件である。実は十日間に延長されたが、洗濯を外注に出す契約上の不備だったとしか思えない。病棟の婦長さんも知らない間に、医療現場に疎い事務方が処理した為らしい。外注の洗濯屋にしてみれば、まとめて洗った方が都合が良かったのだろう。
 病室の掃除やベッドのシーツ交換は病室毎に一斉に始まり、その間患者や付き添いは廊下に出て待たされる。病院では清潔を維持することは大切だが、どうも運営のシステムに問題がある。最近、掃除や洗濯などは一括してメインテナンス会社に回数と値段で契約しており、外注したら任せ放しでチエックする人もいない。カーテンは数室分の予備を用意して、順番に洗濯していく契約にすれば、何も一度に全部取り替えなくても良かっただろうに。アメリカの病院清掃専門の会社には、外注業務に厳しい仕様書がある。床の掃除でモップの汚れ具合を見分ける色見本があり、これで汚れ具合を見てモップを取り替える。病院側は定期的に抜き取りチェックをして、契約が実行されたかどうか確認する。
 どうも患者の入院生活の環境を考えることは、従来軽く扱われてきた傾向がある。快適な環境を整える為に合理的な運営方法を確立し、患者の身になって、幅広くきめ細かいチェックをして欲しい。
1994年9月7日(水曜日)中日新聞夕刊

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丸テーブル

 私たちの事務所の真ん中には、直径百八十・厚さ5・高さ55の裏木曽のヒノキ材で造られた丸テーブルがドンと構えている。
 図面を広げて打ち合わせをしたり、建物の模型を囲んで議論したり、食事やお茶の休憩時間に集まって多目的に使っている。長年使っていると汚れたり傷がついてくるが、その傷の深さはそのまま事務所の歴史でもあり、職場にコミュニュケーションが生まれ、家族的な雰囲気を作り出し、お客もくつろいでくれる。
 9人くらいで囲んでも狭く感じないし、テーブルからイスを離せば更に人数を増やせて会合に迫力も出てくる。それでいてニ、三人でもゆったりした気持ちで使える。 丸いテーブルは四角ものより人数に融通性があり、何処へ座っても輪にとけこんで話しやすい。一般に会議で席順を決める時、上座・下座などと席順に気を使う事が多いが、丸テーブルだと平等である。数多くの国が協議するには円卓会議が常識になっているが、国による順位がつかないため穏やかに話がまとまるのだろう。
 住宅の居間には応接セットのような堅いイメージの家具が置かれることが多い。最近は家族が集まって団らんということが少なくなってきている。居間に大きな丸いテーブルが一つあると、子供も個室に閉じ込もらないで宿題をしたり、主婦は家計簿をつけたり、おやつを食べたり、各自好きな時に好きなことをしながら、自然に団らんが生まれるのではないか。大家族でも少人数でも使えていい。部屋を細かく仕切らず、大きなテーブルが入る広い部屋が欲しい。
考えてみれば我々の身の回りには丸のイメージが多い。輪にとけこむ・角がとれて丸くなるなど、丸は協調性・コミュニュケーションなどのイメージがある。我が事務所では、厚みのある本物の木の暖かさと丸い形は良くマッチし、人間関係が時にぎくしゃくしても、それを丸く収め、職場に温かみをもたらしてくれていると思う。
1994年9月14日(水曜日)中日新聞夕刊

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発言する女性

 名古屋で開催された日本建築学会が今月十一日幕を閉じた。全国から八千人を超える参加者があり、会場の名城大学では研究発表・展示・シンポジウムなど各分野の問題が討論された。地元の実行委員の努力もあるが「名古屋人は義理堅いからネ」と言いながら、あちこちに少しずつ顔を出している人もいて何処の会場も盛況であった。私も「健康と環境」「施設と複合化」など計画系の研究協議会に参加したが、東京をはじめ各地から来た研究者の発言の仕方はまるで喧嘩を仕掛けてくる様に迫力があった。私は30年前に東京から来たが、静かな名古屋ではこんな調子で相手を叩くと何もかも壊れてしまうのにと、はらはらしながら議論の盛り上がりに時を忘れた。ところで、残念ながら参加者にも発言者にも女性は極めて少なかった。
 昨年7月にやはり名古屋で開催された有職婦人クラブの世界大会総会では、建築学会以上に激しい討論が行われた。「意見のある人はマイクへどうぞ」と言われた途端に、2つのマイクの前には行列ができた。発言が終わると再び行列の最後尾に並び直す人もいて、自己主張の迫力には圧倒された。これが世界の女性の姿である。総会のテーマ「環境と開発」のシンポジウムでは「薪中心の生活が森林伐採、砂漠化を進めた。効率の良いストーブがあれば多少とも食い止められるのに」といった、発展途上国の女性による身近で切実な発言があった。それは先進国へ援助を求めるアピールでもあった。名古屋からも多数の女性が参加したが、ついに日本からの発言は一人もなかった。その夜のパーティはオシャレした女性が大勢参加して盛り上がった。身構えないでも気楽に交流すれば、十分気持ちが通じる物だと感じた。
 名古屋を内外から人が訪れる魅力ある街にするには、もっと自分の意見を発表する気風を育てる必要があり、特に女性の発言が欲しい。義理堅く控えめな名古屋をもっと盛上げたいと思うこのごろである。
1994年9月21日(水曜日)中日新聞夕刊

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D・I・Y 

 「他社と競争するため、1を微妙に変える戦いなのです」とドアを開発している人が打ち明けてくれた。毎年少しづつ寸法やデザインを替え、新製品として価格を改訂するものが多い。古い家やマンションで住宅を改造するケースが多くなっているが、台所や水回りの設備、床・壁・天井・建具などちょっと改造しても驚くばかりの金額になる。新しく建て替えるのと大して変わらないような気がする。従来の材料が現在は生産されていないことがあり、同じ物を部分的に取り換えられないし、特に設備機器が便利に進歩して、旧来のタイプは廃番になり部品もないからである。
 わが家ではウサギのマークで親しまれたドイツバイラント社のガス湯沸かし器を20年近く愛用し、小さな部品を一度取り換えただけであった。最近、全自動の給湯システムに切り替えたので、浴槽の湯温や量も設定できて便利だが、停電でもすればお手上げである。また暖房器が弱い振動で自動停止し、数分の点検で高い出張料を取られている。便利にはなったが身の回りの設備に素人は手も足も出せない。
 欧米では最近ドウ・イット・ユアセルフ(D・I・Y)が注目されている。店で定価を見て部材や設備部品などを買い、自分で改造するシステムである。プロも同じ店で買うので材料の価格がはっきり素人にもわかる。日本では材料と工賃のセットになっているのが多く、部材の流通機構や価格が分かりにくい。素人が材料を買って自分で作業するのは困難である。
 工賃は欧米より安いのに、日本の建設コストはヨーロッパの2倍、アメリカの3倍だと言われる。物を大切にする消費者には、良い品が何時までも愛用出来るロングセラーのデザインが求められるし、もっと自分の家のことは自分の手で作り直せるように、原材料や半製品が安く手に入るシステムが必要である。
1994年9月28日(水曜日)中日新聞夕刊

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老犬

耳の遠い痴呆の母を連れて、ロンドン滞在の夫の所へ出かけたばかりの妹がしょんぼり帰国した。理由を聴くと「夕方、ちょっとした間に母がいなくなったの、。マイ・マザー・イズ・ローストといって明け方までタクシーで探したのよ」という。急激な環境の変化のせいか、八十三歳の母の痴徘徊事件が起きてしまったらしい。‘事件’は親切なおまわりさんが見つけてくれて解決したようだが、「始終ニコニコ、ユーモアとジョークで慰めてくれて、さすがと思ったわ」と妹はいたく感激した様子。
 ところで、わが家の17歳の老犬が昨年暮れに家出した。人間の歳にすれば100歳ぐらいかぐらいか、かなりボケも出てきていた。散歩も嫌がるので、庭へオシッコに出したわずかかな間に姿が見えなくなった。「メスは遠くにいかないし、目が悪いから溝に落ちちゃったかも。大きな声を出して探さないとダメよ」「死期が近づくと身を隠したがるから、人目につかない所を・・・」と近所の人。あちこちで尋ねる度に見知らぬ人の親切なアドバイスがあり、点が線になり面となって足どりが何となく分かってきた。どうも人目に付きやすい方にいった形跡がある。ロンドンの徘徊事件を思い出し、近くのおまわりさんに届けたら「住所はどこ? 管轄が違うよ」と一言。忙しい警察にとって犬どころではないのだろうが、永年子供の話相手になり、家族の一員として暮らしてきた愛犬で、わが家では大事件である。
 あきらめの気持ちで帰ってくると、近所の方から犬を預かっています、という留守電話。中日新聞のおばさんが、集金の合間に、うちの犬が一度も行ったこともない団地で見つけてくれたのだ。どうしてこんな遠くまで行ったのか不思議で仕方がない。ヒューマンなロンドンのおまわりさんも心強くステキだが、日に何度も地域を行き来している新聞のおばさんの情報量の素晴らしさが強く印象に残った一日であった。その愛犬は‘事件’後1週で間で静かに世を去った。
1994年10月5日(水曜日)中日新聞夕刊

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やさしい街

 朝早くまだ人通りの少ない街で、右手に小さな折りたたみイスを、左手に杖を持った足の思いお年寄りに出会った。街にはめったに腰掛けるベンチはないので、自分のイスを持ち歩いているのだろう。私も老母と出かける時にベンチとトイレに苦労する。広い道路には安全な中央分離帯と、一休みできるベンチがあると良い。歩道橋に最近エレベーターを付けるケースが現れたのは喜ばしい。名古屋市の東山公園テニスセンター一の歩道橋などで実現して好評である。しかし、まだまだ高齢者や身障者が安心して外出できる仕組みが日本の街には少ない。米国ミネソタ州ロチェスター市一は有名な診療施設メイヨークリニックと関連病院を核に、世界中から集まる患者や研修医を対象にしたホテルや貸家がたくさんある特殊な街である。ここでは車を持たない外来者が雨の日でも濡れずに外出できる工夫がある。「サブウェイ」と呼ぶ地下道と、「スカイウエイ」と呼空中廊下が主要な建物と直結し、エレベーターやエスカレータで上下できる。多くのホテルが直接メイヨクリニツクヘ歩いて行けることを宣伝に使っている。しかも、外の広い歩道にもゆったりしたペンチと日除けが用意されている。この街は店もユニークで、アメリカには珍しい手作りの人形や小物を売る手芸品店があり、高齢者や身障者に配慮した履物を売る靴屋がある。街の人は歩行器や車イスの人たちにやさしく声を掛け手を貸している。自動車の国、治安の悪い国にも、人にやさしい歩行者優先の街があったのである。最近、各地で人にやさしい街づくりの指針を作っているが、街や建築を物理的こ整備するのはあくまで条件づくりである。最も基本になるのはだれもが声を掛け手を貨す思いやりの心であり、この心が物理的な整備水準を決定するのだと思う。
1994年10月12日(水曜日)中日新聞夕刊

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地下室

 先週カナダのトロントに住む大学時代の友人の家を訪れた。「平屋の木造住宅をここではバンガローと呼ぶのよ。小さな家だけど、独り者にちょうどいいわ」と、芝生の庭の可愛い家を案内してくれた。三十年もカナダでデザイナーとして頑張る彼女のたくましさに感心しながら部屋をのぞいて回った。個室が二つに広いリビング、働きやすいキッチンとそれにつながる仕事部屋がある。余り広い家ではないなと思っていると地下への階段がある。なんと家全体と同じ面積の地下室があり、洗濯室にトイレ、シャワー、ミニキッチンまで揃っていて、「収納に便利だし、大きな音を出しても近所迷惑にならない。そっくり他人に貸してもいいのよ」とのこと。屋根より高い木が玄関前に植えられて回りは緑がいっぱい、地下室は住宅だけでなく住宅地全体にもゆとりと潤いを生み出している。
 日本では気候の関係で地下室は湿気るし、建設費がかかるのでなじみが薄い。しかし、最近住宅の地下室が造りやすくなった。これまでは地上部分と同様に容積率制限に算入されていたが、本年の建築基準法の改正で制限が緩和され、地上部分のニ分の一まで容積率の算入対象から外されたのである。都心の小さな敷地や北海道など寒い地域では大変な朗報である。地下室は夏涼しく冬暖かく、外部と遮断されて気密性があり、天井が地盤面から1。以下であれば地下として認められるので高窓をとれば通風も採光も確保でき居室として使える。 
 これまで私も地下室を設計したが、「からぼり」を造ったり、吹き抜けで上階と一体にして、広がりのある部屋も作った。ワインをため込む奥さん、静かな書斎が欲しい主人、夜遅い音楽好きの若者などに味のある空間として人気がある。
 土地の狭い日本ではもっと地下を活用し、地上とは一味ちがった個性的な空間を楽しみ、緑の豊かな住宅地環境を生み出したい。
1994年10月19日(水曜日)中日新聞夕刊

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変身

 兵庫県伊丹北中学時代の恩師が、同市に最近出来た昆虫館で指導員をしておられ、女性だけ二十人が四十年ぶりに集ってお尋ねした。「先生!ふわーりと飛んでる白い蝶は?」「これはオオゴマダラ、日本で一番大きくて長生きの蝶なんだよ」などと恩師の説明を聞きながら、昔の女生徒?たちは色とりどりの花と蝶の乱舞に負けないくらいのはしゃぎ方であった。「紐にぶらさがっている金色のサナギは?」「もうすぐオオゴマダラ蝶がでてくるから指に止らせてごらん、サナギにはぶら下がり型と二点固定型の二種類があるんだ」「蝶だけでなくこの昆虫館にはニ千八百匹の昆虫がいて、不思議な生態や行動を知ることが出来るんだよ」と言われ、じっくり見て回った。
 全員で展望室に上がり、すっかり新しいビルに変わってしまった街並を見ながら、「学生時代には楽しい思い出がどうしてたくさんあるのかしら、勉強なんかしていなかったのネ」と当時を思い出していた。昆虫館は豊かな自然環境に囲まれた「こや池」の一角にあり昆虫や渡鳥が集まってくる。しかし、当時はもつと沢山の池や雑木林に恵まれ、学校の行き帰りが自然と付きあう大切な時間であった。持ち帰ったグニャグニャした幼虫が毎日サンショの葉をもりもりと食べ、エサの調達が大変だったこと。幾度も脱皮してさなぎになり、ある朝、華麗に変身して部屋の中を飛び回っていたキアゲハ蝶を見て大感激したことなど。毎日の自然とのつき合いから、動植物の香り、肌触りなど五感のアンテナを通して敏感にキャッチし、不思議な多くのことを発見をしていた。
 青春の悩みや喜びとともに、自分たちの未来について語り合った友達をみていると、もりもり食べて脱皮して華麗に変身し、自分の力で自由に飛回っている蝶のイメージと、生き生きとした女性の姿とが重なる。一方、身近な自然がなくなり新しいビルに変身してしまった街が寂しく感じられた。
1994年10月26日(水曜日)中日新聞夕刊

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木のホール

 ニューヨークの高層ビルの林を抜けて一路北東へ200H、紅葉の美しい広葉樹林の中にレノックスという街がある。ここのタングルウッド音楽センターはボストン交響楽団の運営する夏の音楽施設で、シラカバ・ブナ・カシなどの森と芝生の広がる緑の中にある。夏休みの間、世界中のアーチストによる演奏会が開催され、この小さな街に百万人もの人々が訪れる。
このタングルウッドの一角に去年、小沢征爾記念ホールが造られた。客席千百、半円形木造屋根の可愛い音楽ホールである。木の格子状の壁や天井、窓やドアは日本的なイメージでデザインされている。客席後部の大きな木製ドアを開けると広大な緑の芝生の野外席へとつながり、たくさんの人々が気軽に音楽を楽しめる。ステージ裏にある小さな机とイス、衣紋掛け一つの簡素な場所が小沢さんのコーナーである。ホールと中庭を挟んで回廊でつながるレッスン室があり、この施設には世界中から集まる音楽家の卵の為に、なんと百五十五台ものピアノが用意され、4人の調律師がいる。ここで彼自身も直接指導にあたっている。近くに馬小屋を改造した若い音楽家の為のアットホームな休憩室もある。無名の小沢征爾さんを育てた小さい街、さらに若い音楽家たちを育てようとする気持ちが、木の温かさと一体になって伝わってくる素晴らしいホールである。
 日本でも最近立派なホールがあちこちの街にできはじめた。客席が何千といった大ホールも珍しくない。しかし、たまに人気歌手の歌謡ショーや講演会が開催されるが、殆ど開店休業で閑散としてるホールが少なくない。建物を計画する前にどんな運営をするか、いかに活用するかといった企画が必要である。それにもまして若い芸術家を育てるコンセプトや、その地域が生んだ才能を讃える風土が欲しい。芸術を育てる環境として、暖かみのある木のホールを羨ましく思い出している。
1994年11月2日(水曜日)中日新聞夕刊

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ねうち感覚

 子供が学校で理科や工作の学習セットを勧められても、専門店で品質と値段を比較して、安くて良い物だけをバラで申し込んでいるケースがある。勧められてもじっくり物を吟味して、納得しないと買わないのが名古屋の「ねうち感覚」であろう。子どもの頃からしっかりした価値観を身につけた実行力が頼もしい。
 設計を頼まれた時「住宅は利益を生まないので、ねうちに設計して下さい」と言われた事がある。直接の利益ではないが、家族の活力を生みだし、人を発達させてくれる場である。住宅をゆとりある快適な空間にしようと張り切っている側にとっては少々気力が落ちる要求である。同じ「ねうち」でもこうした価値観にぶつかると寂しい。
 工事契約に当たって複数の施工業者から見積をとり、一番高額の会社に交渉して、一番低額の会社の値段で請け負わせる例がある。質の良いものを安く造って長持ちさせるのが「名古屋流ねうち」であろうが、なかなか厳しい。さらに工事が完成してから些細なクレームで値切ることもある。度が過ぎた「ねうち感覚」は人間関係までギクシャクさせる。建築は完成後のメンテや改装など、施工業者との長いつき合いが必要なので、人間関係は大切にしてもらいたい。
 日本の建築工事費が国際的に高いと言われるが、どうも後々までのクレームやメンテ代も含んだ工事側の自衛手段に関係しているのではないか。長期間の契約関係が必要であり、金額の決定に当たっては、そのさじ加減が難しい。
 いまや、いかにコンパクトで品質の高い物を安く作りだすか、国際的に技術を競いあっている時代である。子供の時から鍛えられている「名古屋のねうち感覚」はこれからの国際競争に活かされるであろう。しかも、ほど良いさじ加減で国際的にも信頼されるように願っている。
1994年11月9日(水曜日)中日新聞夕刊

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女性のまちづくり

名古屋市は女性からの意見や要望を活かして魅力ある街にしたいと「女性からみたまちづくり事業」をまとめている。副会長である私は「何故、女性の視点がまちづくりに大切なの?」と聞かれると「自宅周辺の街は女性を中心にして回っているのに、まちづくり計画を女性自身がやらないのはおかしいわ」と答えている。自治会長は男性でも、組長は女性の地域が多く、転居・出産・進学など身近な情報や、側溝のゴミ詰まりや電柱の球ぎれなどの近隣からの苦情も女性ならすぐ分かる。子供会では若い母親が、ラジオ体操、クリスマス会、廃品回収など年間の行事の世話に忙しくかけまわっている。家事・子育て・老人介護など家庭の基盤となる生活は殆ど女性がリーダーシップをとって活躍している。
 つまり、女性は「お母さん」「組長さん」「P.T.A役員」など、いくつもの顔をもって色々な人のつながりをつくり、どこにオシャレな店があるとか名医さんがいるとか、身近な生活に欲しい情報は簡単に手に入る。いまや、女性は男性中心で進められてきた効率や利便性を重視したまちづくりに疑問を抱き,地域を変えようとする意欲を持っている。
 高齢社会になるほど女性の人口割合が増加し、働く人の三分の一を占める。しかし、身近なまちづくりに携わるケースはまだまだ少ない。建築界でも増加したとはいえ、建築士は全体の数%にすぎない。もっと女性の感性を生かせば,美しい照明やあふれる色彩、清潔な休憩トイレやバス停など、見違えるような街になる筈である。今回の街づくり事業は、まちづくりに携わる多方面の専門家・一般から募集した市民スタッフ・行政職員など,様々な女性がまちづくりに対して提案を行い,今月の25、26日県芸術文化センターで「まちづくりフェスティバル」を開く。男性の考える街づくりとどう違うのかお楽しみに。
1994年11月16日(水曜日)中日新聞夕刊

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杉のいす

 「木のイスは気持ちがいいね」と子ども達に褒められた。実は生活環境学科の学生が、卒業制作で杉の木を活かして作った子ども用のいすを、保育園に持ち込んだ時の話である。本物の木はじかにさわって温かく、素直に子どもたちが受け入れたのであろう。昔から木に慣れ親しんできたはずの日本人が、最近の建具は殆どアルミを使い、身近な生活用品はプラスチック製、木造建築といっても直接手に触れない構造材や下地材として使っているのは何故だろうか。
 かえって欧米の方が日本より、コミュニュテイセンターから保育園やスポーツ施設まで、人とかかわりの深い公共建物には大胆な木構造を採用し、内部に温かみのある素材として木をたくさん使用している。北欧のように厳しい自然環境でも、集合住宅や病院・学校の窓に木製建具を使っている。直接手が触れるという理由で。
 日本では昔から木割り法をもとに美しく木を使い、木目を活かし、継ぎ手・仕口などに釘を使わなかった。しかし、桧だ、無節だ、木目を揃えるのだとなると、流通機構の複雑さも加って、十倍といったオーダーで高価格になる。節があっても材質として劣らないのに。
 一方、木材は収縮したり、汚れ易く、腐ったりメンテナンスは容易ではないし、燃えるという事で防火上の規制も厳しい。こうした木材の欠点をカバーしてくれる塗装や集成材としての使い方に、日本では抵抗が強い。
 最近、アメリカの木製サッシュを輸入して使ったが、木目や細かい仕上がりにはこだわらずに、ぶ厚くてざっくりした本物の魅力を活かして値段は安い。日本における匠の伝統技術は文化として大切だが、釘をうってペンキで仕上げるような気軽な使い方があってもよいのではないか。「杉は軽くて気持ちがいい」と評価してくれた子供達の為に、少々価値観を変えて手に触れるところに木の温かみを増やしたい。
1994年11月30日(水曜日)中日新聞夕刊

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マディソンの家

 米国ウィスコン州マディソン林産試験場で、木にこだわり新しい木質パネルを使用した住宅現場が近くにあると聞いて出かけた。敷地はなんと二十数万坪、小高い丘にあり、まわりは見渡す限りトウモロコシ畑である。施主のマンドリ氏(35)はコミュニュケーション会社社長とか。延べ床面積四百ニ十平方。、総工事費五千万円、ニ十の角柱に新木質材パネル張りのがっちりしたアメリカ初期スタイルの木造ニ階建であった。
材料の種類や工法など専門的な質問に、テキパキと現場で応対してくれたのは、建築家ではなくTシャツ姿の社長自身で、材料や職人の手配まで自分でしている。地下の大きな駐車場へ行ってみると、たった一人の女性が一生懸命外壁の杉板にペンキを塗っていた。一度塗りをして十分乾かしてから、二度塗りなので大変だと説明してくれた。アメリカの工事現場では女性が働いているのだなと思ったら、「我が家のボスですよ」と社長に紹介されてニ度びっくり、なんと四人の子持ちの社長夫人であった。
マディソン郊外のD.I.Y.[貴方自身でつくろう]の店メナードでは、住宅部品だけで五万五千種類が一万平方。の店内に展示され、屋外には屋根の木造骨組までも売っている。ドアや窓を買っている人、一生懸命ペンキの色見本で好みの色を探しているお年寄り、設備機器を買って大型の車で持ち帰る人など店には活気が溢れている。設計図や部材寸法や付属品説明書まで揃っていて、素人に分かり易い。円高の関係もあるが何もかも桁違いに安い。
 社長であろうと主婦であろうと、愛着をもって自分の家を造る努力をしている。色は決めてもペンキのひとつも塗った事のなかった私はいたく反省させられた。ベストセラーで有名なアイオワ州「マディソン郡の橋」の甘いイメージとはまるで違って、ウイスコン州マデイソン市の現場は迫力ある現実の世界であった。
1994年12月7日(水曜日)中日新聞夕刊

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残りモミジ

先週の土曜日に「残りモミジは素晴らしいのよ」と誘われ、女性3人で奈良・飛鳥の談山神社を訪れた。モミジは残りどころか、まだまだ十三重塔のまわりをはじめ周辺一帯を秋一色に包み込んでいた。しかし、訪れる人もほとんどなく、川の瀬にはセキレイが飛び、談山は「かたらいやま」と呼ぶ万葉の昔を偲ぶ風情があった。すべてのことがらは「談らい」があってはじめて整うという。
 山道を歩いて明日香の里へ、濡れ落ち葉に足を取られそうになりながら急な坂道を歩いた。シーズンオフで人に出会わないし、崩れかかったみちで不安になりはじめた。ところがあちこちに真新しいエプロンを掛けた石地蔵が並んで、色とりどりの小菊が生けてある。それをたよりに一時間余、やっと里にたどりついた。
 飛鳥川の橋のたもとのお地蔵さんの前でひと休みしていると、十人近いお年寄りの集団が山から降りて来た。お地蔵さんの前でぴたりと立ち止まり、皆で周りの草をとり、花を生け替え始めた。「もうすぐお正月だから丁寧に掃除しなければ」と言いながら。一人のお爺さんがにこにこして私に語りかけてこられた。「毎日が忙しい、私は九十ニ才ですよ」と。皆元気で地域を守るお地蔵さんの世話の仕事をしながら、住み慣れた地域の環境を守っている自信に、どの顔も輝いて見えた。まさに自然との「かたらい」なのである。
 日本では「かたらい」が余り上手ではなく、また一般的に宗教心も薄いと言われている。これが日本の高齢者問題を寂しく不安なものにしているのではないか。しかし、神に守られてきたという飛鳥の地域性にもよるが、このような素晴らしい生きざまに、残りもみじの美しい自然環境の中で出会う事が出来て、心洗われる想いであった。仕事を持ち身近に高齢者とかかわってきた3人は、自らの老後を話し合いながら帰路についた。
1994年12月14日(水曜日)中日新聞夕刊

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床暖房

従来、日本の住宅は「夏をむねとすべし」といわれ、「冬はいかようにもなる」と暖房や断熱が軽視されてきた。今でも住宅の暖房で床暖房を勧めると、最初は設備費や維持費が高いのではと心配される。しかし、クレームの多い住宅で、必ず感謝されるのは床暖房である。
 わが家では居間の中央に、節約してニ畳分だけ床暖を入れたが、寒くなると五人家族と犬一匹が肩を寄せ合い、いやおうなしに肌をふれあうコミュニュケーションが生まれた。頭が熱くなると犬は頭だけを床暖房から外して寝ている。こたつも家族団らんの機会が生まれて良いが、つい無精になって身体を動かさなくなる。
 韓国では古くから、床下に煙を通して床全体を暖めるオンドルが厳しい冬に対応してきた。床暖房は十五度位の低温で長時間、輻射で暖めるのが特徴で、窓をあけていても風さえなければ寒さを感じさせない。ストーブなどの対流式は部屋の上部が暖かくなり過ぎるし、暖冷房兼用の上から温風が頭に吹き付けるのは気分が悪い。その点、床暖は文字通り足元から温まってくる頭寒足熱で快適である。
 維持費はこたつにくらべれば勿論高くつくが、対流暖房と比べると安く省エネ暖房としても好評だ。設備費は少々かかるが、空気も汚れずやけどの心配もない。高齢者や幼児が安全で健康な生活が得られる。住宅だけでなく集会所や高齢施設、学校・幼稚園などでも使いたい。岐阜県池田町の小学校では、殆ど全校をじゅうたんの床暖房にして、児童は床に座り込んでも快適である。
 朝晩冷え込んできて、そろそろ動きが鈍ってきた。寝るとき床暖の上に衣類を脱いでおくと朝暖かくて気持ちがいい。人生九十年、お年寄りは冬の冷たい床で動きが鈍り、つまづいて怪我をしやすい。浴室・脱衣室・便所なども含めて、やわらかい暖かさの環境が欲しい。高齢者住宅は段差の解消だけではない。
1994年12月21日(水曜日)中日新聞夕刊

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