建築家はプレゼンテーションを重視せよ   柳澤 忠

 日本人は概して発表が下手である。とくに若者・学生を外国人と比較すると発表能力で格段の差がある。自分の意見を他人に納得させる発表能力が訓練されていない。講義を聞いてから質問するように教師に促されでもほとんど反応しない。自分の意見がないのか、まとめられないのか、とにかく消極的である。その点、外国の学生は講義の途中でも質問してくるので教師もうっかりできない。ある外国で行なわれた国際学会では質問マイクに行列ができて、発言時間を限定されると何度も並び直すのには驚かされた。また、都市計画の住民説明会を傍聴したときは、設計事務所の説明に対して適切で冷静な質問が多数出されて、発表だけでなく合意を得るための協議にも慣れているのに感心した。
 小学校以来日本の教育はたくさんの知識は与えようとするが、自分独自の意見を組み立てさせるための配慮が不足している。これは一般社会が個性的な考えを持つ人材よりは、大多数の意見に同調する人材を評価する傾向があるからではないか。これで21世紀の世界で日本は生き残れるのだろうか?
 建築の世界では一般社会より独創性が重んじられる。他に例を見ない独特な環境を創造することが期待されることがある。しかし、あくまで依頼主が納得するものをつくるのが原則で、設計途中でも経過を説明し協議する必要がある。複数の依頼主と多くの関係者に自分の提案を示し、納得してもらわなくてはならない。これら多数の人々は多様な価値観を持っているので、説明する方法も一様でない。そのためには、あらゆる機会に自分の考え方を説明する心構えが必要で、日頃訓練しておかなくてはならない。建築の場合は現に目の前にある物ではなく、将来完成する建築を説明し、それが使われる状況まで予測させる必要もある。一般の人に納得してもらうには多彩なプレゼンテーション技術が必要になる。
 一般に日本の建築界はプレゼンテーションの努力が不足している。設計コンペでは異常なほどの努力を払う人でも、作品賞などに応募するときの資料作成の努力は不十分である。学会発表や講演会でのプレゼンテーションはかなり見劣りする。講演者にしか読めない小さな文字のOHPを平気で使って「見にくいだろうが」と断わりながら話を進める場面にぶつかるが、言語道断である。
 その点、建築よりデザインの分野では海外に対する説明を求められる機会が多いからか、プレゼンテーションの水準は数段高いように思う。3Dアニメーションなどを活用して理詰めでイメージ豊かな説明を展開する。言葉を超えて物の質を相手に納得させる必要性が高いからであろう。真に国際競争力を備えるには、言葉以上にわかりやすい図による説明が欲しい。建築図面は施工業者に示す従来の図面とは別に、一般の人に説明するために、平面図でも色を塗り分けてわかりやすくするような努力が必要だろう。
 自分の意見を上手に説明して他人の同意を得る努力を求めたわけだが、発表能力が進歩すればするほど、最終的な合意の形成が困難になる。多数の発表が衝突し始めるからである。かくて、他人の意見を十分に受け入れつつ協議する能力がより強く求められる。住民参加の計画が一般化するには真の民主主義が根づく必要がある。他人にわかりやすくプレゼンテーションする訓練とともに、協議によって合意を形成する訓練も必要だと痛感している今日この頃である。 

中部版 建築ジャーナル1998-5No.919より


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