建築関係者は「広く計画で生きていけ」 柳澤 忠
大学や高専から卒業する建築系学生が社会の需要から見て多すぎる。建設業界のリストラは激しく、役所も建築部・局が土木と統合するらしい。建築を取巻く情勢は極めて厳しい。
今後多くの建築関係者が生き残る方法は「現在存在しない状況を予測し、将来を組み立てる『計画』を広く専門職業化することだ」と私は考える。極論すれば「建築にこだわらず広く計画で生きていけ」と言いたい。役所なら指導行政は別として、営繕が各部局で作成した企画に従っているのを見直し、企画そのものを計画業務として取り込むべきである。
私の知人がニューヨークでコンサルタント事務所に勤めているが、彼等は具体的な施設計画を立地・敷地分析から投資額・ランニング経費・職員構成などまでまとめ、地域生活にどれほどのインパクトを与えるかを含めた計画書を市当局に売り込むのを主な業務にしている。イメージ図以上の建築図は設計契約をしないと書かない。設計業務とは独立した「計画業務」である。
アメリカ人は建築事務所に働く人でも「私はプランナー(計画者)でデザイナー(設計者)ではない」と明確に自己紹介する人がいる。
アメリカの病院経営コンサルタントは経営相談の外に計画業務を行い「自分の事務所は設計はやらない」と明言する。日本では建築設計者が計画を兼業し、多くの場合サービス的に行うので内容はかなり不十分である。
もともと日本人は物が出来上がる施工には金を払うが、頭で考える設計には金を払いたがらない。まして設計の前段の計画などは設計者のサービス位にしか考えられていない。計画業務が充分な評価を保証されるのは簡単なことではない。しかし、今日の日本経済を根底からゆるがした「不良債権」は土地代が高騰することだけを当てにした「計画ミス」が主要原因なのである。不動産なり施設なりが活用される総合戦略を立案する真の計画が不在だったのである。計画には金を惜しんではいけない。
話変わるが、コンペ要綱は施主叉は企画者の建築への期待や経営上の方針を明確に条件化して、建築設計の工夫を十分に引き出そうとするものであるが、日本にコンペ要綱が作成出来る人が施主側にいない。従って施主の立場も建築設計者の立場も分かる第三者がコンペ要綱を作成すると良い。これこそ計画であり上記のコンサルタント業務である。
私の専門の病院建築ではコンペが少ないし、十分に内容のあるコンペ要綱が作成されていない。将来の医療制度や医療技術を前提として、当該病院が如何に経営・運営されるべきか、具体的で明確な経営計画と職員構成、運営マニアルが示され、機能を発揮できる病院建築の規模計画が示されるべきである。建築設計はこうした明解な目標を設計条件として工夫されるべきなのである。
実はこうした計画業務は既存の建築教育のカリキュラムではまったく不十分である。経営学・不動産学・情報学など、得意な方向の勉強を加える必要が出てくるし、病院なら病院管理学、図書館なら図書館情報学など専門的な方向を定めた単位を、他分野でさがす必要がある。
未だに日本には十分定着していないファシリティマネジヤーは、本来企画と運営を担当する「計画・経営職」なのだと考える。現在、国際的に技術者資格を統一する方向で議論されている。曖昧な日本の建築士は設計・計画・経営と明確に区分し、教育体制も再構築することを提案したい。
中部版 建築ジャーナル1999-9No.948より
|